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メンバー
田邊昭知(リーダー、ドラムス、「昭ちゃん」)
加藤充(ベース、「カッペちゃん」)
かまやつひろし(ギター、ボーカル、「ムッシュ」)
大野克夫(オルガン、スチール・ギター、「克夫ちゃん」)
井上孝之(ギター、ボーカル、「イノヤン」、現在の表記は井上堯之)
堺正章(ボーカル、タンバリン、フルート、「マチャアキ」)
井上順(ボーカル、タンバリン、パーカッション、「順」または「順ちゃん」)
前田富雄(ドラムス、「トミー」)
来歴
結成
1961年に、スウィング・ウエストのドラマーであった田邊昭知によって結成された。バンドの名付け親は、かまやつひろしの父で当時の日本ジャズ界では有名なシンガーであったティーブ・釜萢であり由来は「蜘蛛の巣の様に世界を席巻する」という想いを込め命名。結成当初はラウンジ・ミュージックを嗜好しながら、歌手のバック・ミュージシャンとしても活動。その後は音楽性の模索に伴ってメンバー・チェンジが繰り返され1962年5月に専属シンガーとして井上孝之、7月にスチール・ギター担当として大野克夫、11月には専属シンガーとして堺正章が参加した。
1963年にはベースとして加藤充が参加し、同年かまやつ(当時はリード・ギター)と共に入った加瀬邦彦がリズム・ギターとして2ヵ月間在籍していた時期もあった。1964年2月に井上順が参加、脱退した伊藤源雄の代わりに3月には井上孝之がリード・ギター(技術的にはかまやつのほうが遥かに優れていたが井上のテクニックを向上させるために敢えてリード・ギターのポジションへと置いた)に転向したことで、後に「グループ・サウンズ」と呼ばれ人気を博す時代のメンバー7人体勢が整う。
外国志向
同じ頃にビートルズ旋風が世界的な規模で巻き起こり、そんな彼らに触発されたかまやつは田邊とともにビート・グループとしてバンドを再編成、いち早く彼らの楽曲をコピーすることで、マージー・ビートやブリティッシュ・ビートと呼ばれたサウンドへの造詣を深めてゆく。
その過程の中、来日した外国アーティストの前座やバック演奏をこなすことが多くなり、バックでは1964年4月のピーター&ゴードン、前座では1965年1月と9月のザ・ベンチャーズ、6月のアニマルズ(前座にも拘らず『ブーン・ブーン』を歌ってしまい叱られている)、8月のザ・サーファリーズ、ザ・ハニカムズ、1966年1月のザ・ビーチ・ボーイズで務めている。
1965年5月に、かまやつ作詞・作曲の『フリフリ』でクラウンからシングルデビューし、当時としては斬新な音楽性に加え、ミリタリー・ルックをいち早く取り入れるセンスのよさ、そしてコミカルタッチな演出をも得意とする実力派バンドとして評価される。ちなみに『フリフリ』のジャケット写真にかまやつが写っていないが、これはかまやつが撮影時に遅刻をしたためである。
全盛期
1966年に入り、2月『ノー・ノー・ボーイ』、4月『ヘイ・ボーイ』、7月『サマー・ガール』とブリティッシュ・ビートの影響を大きく受けた、かまやつ作品によるシングルが発売され5月には日劇ウエスタンカーニバルに初出場するものの未だに青春歌謡、ムード歌謡の勢いが強かったために芳しいセールスへと繋がらなかった。しかし9月発売の浜口庫之助作品『夕陽が泣いている』が公称120万枚を超える大ヒットとなり一躍スターダムにのし上がる。なお、3月にはオランダ・フィリップスから『フリ・フリ'66』、4月にはアメリカ・フィリップスから『ノー・ノー・ボーイ』、10月にはオランダ、11月にはイギリスで『Sad sunset(夕陽が泣いている)』が発売されている。
また、ホリプロダクション(現:ホリプロ)に所属していたが、同年5月に田邊がホリプロダクション事務所内にほんの僅かな一角を間借りする形でスパイダクション(Spi Duction、田辺エージェンシーの前身)を設立し、セルフマネージメントを開始する。
1967年は、3月『太陽の翼』、5月に再び浜口庫之助作品である『風が泣いている』(公称70万枚)と順調なセールスを続け、5月には映画『夕陽が泣いている』、8月には初主演映画となる『ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦』が公開されるなど順風満帆と思えたが、ライバルグループのジャッキー吉川とブルーコメッツが、『ブルー・シャトウ』で150万枚の大ヒットを記録(同年の日本レコード大賞受賞)、更に同年夏には、ザ・タイガース、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズなどの若手グループが次々と台頭してきたことでGS(グループサウンズ)ブームが巻き起こり、ザ・スパイダース、ブルーコメッツといった、当時としては年齢層の高い(若手グループは10代後半 - 20代前半だった)グループが、徐々に窮地に立たされていく転機も迎えていた。
ソロ活動の増加
1969年の夏頃から観客数の落ち込みが進み、公演会場ではメンバー全員が仮装して臨む(井上順談)という前代未聞の事態にまで発展したこともあり、さらに個々のメンバーの人気が高かったこともあり、収益面などの理由からソロ活動が優先されることになった。堺が1970年2月にTBS系ドラマ『時間ですよ』に出演したことを皮切りに、同月にはかまやつがソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』、4月には堺がシングル『明日を祈る』(堺正章とザ・スパイダース名義)、井上順がシングル『人生はそんなくり返し』(井上順とザ・スパイダース名義)で発売する。
この影響で堺と井上順のスケジュールが過密となったこともあり、前年から若干程度始動していた「スパイダース5/7」(スパイダースから堺、井上順を除いた編成)としての活動も多くなる。また、5月には田邊が自身の経営するスパイダクションでのマネージメント業務に専念するため、同月末で現役を引退することを表明し、6月にバンドボーイであった前田富雄が2代目ドラマーとなった。
解散
9月にはラストシングルとして『エレクトリックおばあちゃん』が発売されるもヒットには程遠く、11月にかまやつが脱退。これが引き金となり、年内の解散が発表された。なお、1971年1月の第43回日劇ウエスタンカーニバルを最後のステージとして、同じく前年12月末に解散した弟分グループ、ザ・テンプターズの萩原健一と共に出演したが、これは「再編成」という形で行われた。
なお解散後の1971年11月11日に、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。同年12月5日、第4回日本有線大賞大衆賞を受賞。1975年8月21日にも、ザ・スパイダースとして第1回日本テレビ音楽祭特別賞を受賞している。
解散後
堺正章、井上順、かまやつひろし、大野克夫は、現在も個性を発揮した芸能活動を展開している。井上堯之もギタリスト・作曲家・俳優と多彩な活動を行い個性を発揮してきたが、2009年に健康上の理由などのためプロ活動を引退した。
田邊昭知は、田辺エージェンシー代表取締役社長、長良プロダクション取締役、また日本音楽著作権協会(JASRAC)理事・日本音楽事業者協会(JAME)会長として、日本芸能界の裏方として大きな役割を担っている。
加藤充は解散後、プロベーシストとして数年活動した後引退、保険会社に入社しのちに役員となる。
前田富雄も解散後いくつかのバンドを経て70年代半ばに引退、現在は世田谷区にて鮮魚店を経営する傍ら、地元でアマチュアバンドを結成し、商店街のイベントなどで活動している。
諸事情により一時期加藤が疎遠となったこともあるが、現在も前田を含むメンバー全員が親交を温めている。
再結成
ザ・スパイダースとしての再結成はこれまでに数回行われている。
1977年3月にNHKの歌番組『流行歌この10年』で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加し、『夕陽が泣いている』『バン・バン・バン』などを演奏。
1981年1月の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加して、往年のヒット曲や『アラウンド・アンド・アラウンド』『デイ・トリッパー』などを演奏。
1989年岡田美里との結婚披露宴でヒット曲を演奏した。
1995年8月、関口宏司会のTV番組『関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!』で堺正章が特集された際、番組の中でGS全盛期のオリジナルメンバー7人による「堺正章バースディパーティー」が企画され、全員で『あの時君は若かった』を演奏。
2000年、自殺した作曲家で元「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のヴォーカリスト・井上大輔(当時は本名の井上忠夫で活動)の音楽葬で、ベースの加藤を除くオリジナルメンバー6人で再結成し、往年のヒット曲メドレーを演奏した。
ザ・スパイダースとしてではないが、1999年には堺正章、かまやつひろし、井上堯之の3人によるユニット「ソン・フィルトル」が結成され、紅白歌合戦に出場した。2008年には、テレビ特別番組ザッツ宴会テイメントで、田邊、加藤、大野以外のメンバーが出演し、「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」「フリフリ」「エレクトリックおばあちゃん」などを披露した。
堺正章が司会をするTBS系料理バラエティ『チューボーですよ!』には、かまやつひろしや、井上順がゲストとして出演する回も多く、『バン・バン・バン』などを披露したり、堺正章と井上順がそろって懐メロ番組に出演し、往年のヒット曲を歌う機会は何度もあった。
特徴
『ザ・スパイダース・アルバム・No.1』の楽曲は、当時の洋楽テイストを生かしたかまやつ作曲の楽曲に、彼の友人ら(川喜多和子、岩元梶子)がつけた英語詞などにより、リバプール・サウンドの向こうを張った「トーキョー・サウンド」を標榜し、イギリスなど海外でもレコードがリリースされ、ツアーやTV出演なども行っていた。
『夕陽が泣いている』のヒット以降は、浜口庫之助の作品を堺正章が、かまやつひろし作曲の作品を井上順が歌う傾向があった。浜口が日本的な叙情を感じさせる独特のフォーク調の作風であるのに対し、かまやつは当時の洋楽シーンで人気のあった曲調をうまく消化し、カントリー&ウエスタン調や無国籍ロック風の作曲を行うことで、先進的な個性を発揮していた。なお、浜口もかまやつも旧来の歌謡曲の作曲家とは一線を画した作風であったため、この点がスパイダースの楽曲の大きな魅力となっていた。
音楽性以外では、堺の軽妙な司会や曲ごとに違う振付をするなどの特徴もあり、この辺も人気の一因となった。なお、かまやつひろしの友人であった福澤幸雄が、「8人目のスパイダース」といういわばブレーン的な役割を担っていた部分もあり、最新の音楽情報やダンスステップをグループに提供していた。ちなみに、かまやつひろしが彼を偲んで作った『ソーロング・サチオ』という曲が、アルバム『スパイダース'69』に収録されている。