The Stalin

The Stalin

The Stalin,是20世纪80年代初最重最黑暗的日本的朋克乐队之一,硬核摇滚的中坚力量。 1979年,在东京地下音乐圈中厮混已久的远藤michiro组建了这支日后成为经典的乐队。 远藤michiro当时已年近30,跟过友部正人(关西folk大佬之一),亦跑过南洋。 履历与见识高人一等的他,一开始就决心开创一个日本摇滚的新局面。 于是他组队不久,立刻成立自己的独立厂牌。而乐队取名"斯大林",也意味着"暴力+独裁"政治暗示。 其后,The Stalin的现场以过激的全裸演出和充斥暴力的场面而臭名昭著,甚至因此被捕。 但他们以异端者自居的主张,不仅吸引了一大批忠实的追随者,更受到许多同行的肯定。 作为一支远藤michiro个人乐队,The Stalin其他成员过多的变更,以及屡次因过激行为而东窗事发, 均预示着这支充满危险性的乐队不会长久。 果然,乐队在1984年发表了《虫》和《Fish Inn》两张大碟后失去动力。 1985年乐队解散后,远藤michiro重新开始个人历程。 作为当今日本朋克摇滚的大佬,虽然他不再像以往那般言行激烈,但却依然孜孜不倦的营造其华丽的黑暗世界。

The Stalin热门歌曲下载

查看全部

The Stalin最新专辑下载

查看全部

The Stalin个人资料

ザ・スターリン

  ギター

金子あつし (1980年 - 1981年) - 初代ギター タム (1981年 - 1982年) - 2代目ギター 1958年、東京都浅草に生まれる。本名は田村和男。ザ・スターリン加入前はや元あぶらだこのイズミやGAUZEのシンらと「チフス」というバンドで活動していた。また、彼の実家は靴屋で、そこで靴職人として働いていた経歴も持つ。ザ・スターリン脱退後はADKレコードというインディーズレーベルを設立し、あぶらだこ、LSD、GAUZE、MASTURBATION、奇形児、 REACTION、モルグなど多数のバンドのプロデュースを担当し、タム本人も「G-ZET」や「ブラッドベリ」というバンドを結成。自主制作ソロアルバムも2枚ほど発表するが、1985年7月某日、大阪エッグブラントでのライブ後に失踪。消息不明となり、その後音楽活動から完全に身を引いた。2011年1月16日に肝障害で死去。享年52。 藤岡良次雄 (1983年) - 3代目ギター 原爆オナニーズから参加。脱退後は中村達也らとTHE GODを結成。 JUNE-BLEED (THE WILLARDのJUN)(1984年) - 4代目ギター 北田昌宏 (1984年) - 5代目ギター、元INUのメンバー 小野昌之 (ex ALLERGY) (1984年 - 1985年) - 6代目ギター ザ・スターリン解散後も遠藤と精力的な活動を続けていたが、Michiro,Get the Help!解散後、音楽業界から引退。その後、電気工事関係の会社に就職したらしい。

  ベース

杉山晋太郎 (1980年 - 1983年) - 初代ベース 1960年、福岡市博多区生まれ。ステージ上では他のメンバー同様攻撃的なルックスで演奏しているが、普段は温厚な青年。元々は乾と同じく美大生だった。最初は全くベースを弾けなかったがスターリン加入のためにミチロウや金子あつしと2か月ほど練習した。その後遠藤に「お互い、顔見飽きちゃったね」と言ってスターリンを脱退。彼は脱退後、泥の川、吉野大作&プロスティテュートや、赤色人形館、非常階段(在籍時にソロアルバム「Newton's Oblige」をアルケミーレコードから発表。また、メンバーのユカと結婚していた。)、ソロ活動等を経て、音楽業界から引退。日本アルプス近く(八ヶ岳)の山小屋の経営を始める。1995年、ザ・スターリン解散10周年イベントへの出演をミチロウが誘ったところ、「オレもうできないよ。こんなに太っちゃったし。今はただの山小屋の主人だ」と出演を断った。この頃既にアルコールへの依存はかなりのものだったらしい。その後(1996年4月24日)、自宅の階段を泥酔状態で滑り落ちて死亡。享年36。 柴田亜美の漫画作品の南国少年パプワくん、自由人HEROなどに登場するシンタローの名前の由来である。 尾形テルヤ (1983年) - 2代目ベース 遠藤がザ・スターリン結成前に組んでいたバンド「自閉体」の元メンバー。自閉体脱退後からスターリン加入前まではトラックの運転手をしていた。 肥後宏(ヒゴヒロシ)(元3/3、ミラーズ、チャンス・オペレーション 、渋さ知らズ)(1984年 - 1985年) - 3代目ベース サポートメンバーであり、正式なメンバーではない。

  ドラムス

乾純 (1980年 - 1982年、1984年 - 1985年) - 初代+5代目ドラムス 1959年兵庫県尼崎市生まれ。 小田ヒトシ(元ソドム) (1982年) - 2代目ドラムス 中田圭吾(K5) (1982年-1983年) - 3代目ドラムス 兵庫県加古川市生まれ。 1983年スターリン脱退、共に脱退したタムと「G-ZET」結成。 中村達也(元THE STAR CLUB、BLANKEY JET CITY他)(1983年) - 4代目ドラムス ツアー中のドラマーとして加入。当時高校生だった彼はスターリンのオーディションを受けるために髪型をモヒカンにして挑んだ。しかし、後に学校で先生にこっ酷く叱られることになる。脱退後はTHE GOD、MASTURBATION、ROAD WRRIORS等で活躍。

  ビデオスターリン

KUBOTA - ギター MAY - ベース SHOKO - ドラムス SAKAMITSU - ギター スターリン[編集] 山盛愛彦 - 初代ギター 斉藤律 - 2代目ギター 現在、ALLERGYの宙也らとLOOPUSで活動している。また、T4R、Minimum Rocketsでも活動している。 西村雄介 - 初代ベース 安達親生 - 2代目ベース 三原重夫(元ルースターズ・元ローザ・ルクセンブルグ ) - ドラムス 三原はかつてスターリンのライブを観て、こんな危ないバンドにだけは絶対入りたくない、と思っていた。

概要

ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉体」を母体として1980年結成。同年9月5日にファーストシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』で徳間音楽工業よりメジャーデビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオスターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。 バンド名の由来はソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われている男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」、「外国(東ヨーロッパ)に行くつもりだった」[1]という理由で付けられた。また、遠藤によると「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのものの事だ」とも語っている。 同時期にデビューしたじゃがたら、INUなどと並んで日本のパンク・ハードコアシーンで活動していた。ラモーンズ直系の攻撃的なハードコア・サウンドに、言葉遊びを織り交ぜた皮肉を込めた表現の歌詞が特徴となっていた。ライブ会場では豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿するといったパフォーマンスで話題性を呼んだ。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し出入り禁止になったことや、文化祭ライブで全裸になり逮捕された事もある。 そうした行為が評判となり、81年9月に週刊誌「女性自身」にザ・スターリンの記事が掲載され、マスコミに取り上げられるようになる。ザ・スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やテレビなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽、芸能問わず数々のメディアに登場していた。その一方で、一部の暴力的なハードコアパンクス達からは知的なパンクを演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。 メジャーデビュー後は、アルバムがオリコンチャートの上位に食い込むなど売上においても一定の成功を収める。しかし、結成当初よりメンバーが固定せず、メンバーチェンジを繰り返しながら活動していたが、主要メンバーが脱退した事を受け、1985年2月21日の大映スタジオでのライブを最後に解散する。 その後、遠藤はソロ活動を行っていたが、1987年にビデオのみをリリースするというコンセプトで、遠藤以外のメンバーを一新したビデオスターリンを結成。オーディションにより選出された3名のメンバーにより、ザ・スターリンの曲をカバーし2本のビデオ作品を発表したが、その後はリリースが続かず、アルバムを1枚リリースし、1年ほどで解散する。 1989年には再びザ・スターリンを結成するため、遠藤はドラムスの乾純に声を掛けようとしたが連絡が取れなかったため、元ルースターズ、ローザ・ルクセンブルグに所属していた三原重夫を中心に元THE LIPSの山盛愛彦やパラノイア・スターに参加していた西村雄介を新たなメンバーとして迎え、定冠詞なしのスターリンとして復活し、シングル「包丁とマンジュウ」、アルバム『JOY』にてアルファレコードよりデビューする。再結成に伴い、レコード会社やファンの間ではかつての過激なパフォーマンスが望まれていたが、遠藤やその他のメンバーはそれには応じず、独自のスタイルで活動していた。しかし、話題性、売上ともにザ・スターリン時代には及ばず、6枚のシングル・アルバム、2本のビデオをリリースするも、1992年12月14日の原宿ルイードでのライブを最後に活動停止し、翌1993年に解散した。 その後は、遠藤主催のライブイベントなどで、都度異なるメンバーで一夜限りの再結成をしている。

逸話

遠藤はライブ中は過激なパフォーマンスを見せるが、インタビューなどを見ると実際は物静かで知的な男で、冷静に自分や周囲の事を見ていた。 テレビの音楽番組への出演は、1982年に『ミュージック・ニューウェーブ』(テレビ埼玉)に出演(『ザ・スターリン伝説』付属DVD収録)した他、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系列)への出演依頼があったが、RCサクセションが出演した際に、忌野清志郎がテレビカメラに向けてガムを吐き捨てたことが問題となり、ザ・スターリンはさらに危険な行動をするのではと思われ、出演は中止となってしまった[2]。 メジャーデビューアルバム『STOP JAP』は、レコード倫理審査会による歌詞の検閲が入り、最初に録音した音源はほぼ全曲指摘され、歌詞の書き直しを要求されている。また、カラオケを録音していなかったため、演奏から全て再録音を余儀なくされる事態に陥り、発売日が6月25日から7月1日に変更されている[3]。 『STOP JAP』は、オリコンチャートで初登場48位、最高順位3位を記録し、最終的に約12万枚を売り上げるヒット作品となった。しかし、当時の徳間ジャパンからは歓迎されておらず、徳間ジャパン内のヒット賞において本来金賞であるところが銀賞にされてしまい(金賞は五木ひろしのベストアルバムになった)、また授賞式の参加を拒否された[3]。 映画『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)に役者として参加した際、打ち上げにパンクバンドアナーキーのボーカル仲野茂が何故自分達を起用しなかったのかと殴りこんできた。このこともあってか、暫くバンド同士でいがみ合っていたが、映画で共演した泉谷しげるの仲裁もあって、現在は和解している。またスターリン結成15周年イベントには仲野茂が参加している。 アメリカのパンクバンドデッド・ケネディーズのボーカルジェロ・ビアフラもザ・スターリンに目をつけており、それが縁となってアメリカで発売されたパンクオムニバス『Welcome to 1984』にザ・スターリンは日本代表として一曲、収録されることになった。 2001年に元頭脳警察のパンタや大槻ケンヂ、犬神サーカス団、BRAWLS(BRAHMAN)、Loopusなどが参加したトリビュート盤『365:A TRIBUTE TO THE STALIN』がリリースされ、それに合わせて21世紀最初で最後となるザ・スターリン復活ライブが行われた。トリビュート盤には最初BUCK-TICKも参加し、タイトルでもある「365」をカバーする筈だったが、事情により実現出来なかった。 2003年には過去の作品がデジタルリマスタリングを施して再リリースされ、また完全コピーバンドである「コケシドール」の発足(ヴォーカルは日本のアングラ・パンクなどを旨とするインディ・レーベル「いぬん堂」の牛戸圭一)など再評価されている向きもある。 2005年2月にリリースされた、ザ・スターリン名義の「電動コケシ/肉」は、日本で発売された最後のソノシート盤となった。 遠藤が60歳の誕生日を迎える2010年11月15日、渋谷O-WESTにて記念ライブ「遠藤ミチロウ生誕祭『Roll Over 60th』?還暦なんかブッとばせ!?」が開催された。 出演バンドは「M.J.Q」「TOUCH-ME」「NOTALIN'S」「THE STALINISM」。

The Stalin相似歌手