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[00:28.060]月の夜。
月明之夜。 [00:31.390]静けさと
与静谧同行。 [00:34.170]その暗さに
任由自己, [00:37.780]身を任せ
被黑暗吞噬。 [00:40.410]一人きり膝を抱え
独自一人抱紧双膝, [00:45.220]そっと问いかける
静静地,开始了追问。 [01:01.820]自分という命のこと
谓之以我的这个生命, [01:07.510]自分という存在のこと
谓之以我的这份存在, [01:13.040]生まれて死んだならば
生来而后死去的话, [01:18.430]どこに行くのだろう
又将去往何处呢? [01:24.060]人のように
是如人一般…? [01:29.510]或いは别の
亦或是其他什么…? [01:34.850]ただ独りで考えていたい答えが出なくても
但凭自己思索,即便得不出答案, [01:40.450]それは何の萌芽か
也会成为何种之萌芽么。 [01:45.980]いつしかここに生まれていた
不知何时在此诞生, [01:51.590]己というものを振り返るのなら
若去回首这所谓的自己, [01:56.800]いつしかここに疑问を持ち
不知何时在此开始怀疑, [02:01.930]思索に沈み往くその深さだけ
但若于思索之浸淫,已是那般之深, [02:06.210]何かを踏み外すのか
又是哪里弄错了呢, [02:08.730]“この”外侧へ
应是“自我的”外侧么…? [02:36.340]自分と
自己。 [02:38.130]自分以外。
与非己。 [02:41.040]自分は
自己。 [02:42.980]何者か
究竟是谁。 [02:45.730]何が一绪で。何が违うか
何为同。何为异。 [02:51.250]それが大切か
那是否重要呢。 [03:08.700]自分という存在が
若所谓的自己, [03:13.500]他者と违うのなら
异于他人的话, [03:19.010]そうあるべく生きるとして
以那种形式活着, [03:24.730]何をするべきだろう
又应该做些什么呢? [03:30.050]人のように
是如人一般…? [03:35.510]或いは别の
亦或是其他什么…? [03:40.750]薄氷の上を渡るような 不安定な自问自答
如履薄冰般,不安定的自问自答, [03:46.210]その危うさに両足を踏んで“哲学”(冒険)を进めるなら
迈出双脚踏过危难,将“哲学”(冒险)践行, [03:52.880]拙いその足取りでも
哪怕那步子如此笨拙。 [03:59.370]いつしかここで思考を得た
不知何时在此启智, [04:05.370]己というものに思い驰せるなら
若去深思这所谓的自己, [04:10.290]いつしかそれに疑问を持ち
不知何时对其抱有怀疑, [04:15.380]新たに问い直するの多さだけ
但若重新审视的次数,已是那般之多, [04:18.220]何かが変わっていくのか
——绝对不能再往前走了。 [04:23.560]――これ以上先に踏み入ってはいけない
无法言明的预感,为接收到与其相似的预兆而战栗, [04:32.530]言い知れぬ予感にも似た予兆を感じては栗く
那是在自己体内所发现的崭新的可能性吗? [04:40.500]それは己の内に见出した新たなる可能性か
循环之, [05:03.460]保つ同一性
保有同一性, [05:04.180]循环し
投影出的, [05:07.270]投影された
自然的外形, [05:10.200]自然のその姿
去往那一切的外侧——之外的领域。 [05:12.930]それらの外へ――外侧へと
谓之以我的客体所存在的意义, [05:17.010]自分というものの存在意义を
对此追问不止。 [05:20.230]问いかけ続けることで
不知何时在此显现, [05:22.400]いつしかここに现象した
若去定义这所谓的自己, [05:28.380]己というものを定义するのなら
不知何时对一切抱有怀疑, [05:35.040]いつしか全てに疑问を持ち
但若所找出之意义,已是那般之重, [05:38.420]その意味を见出すその重さだけ
之后又将探求些什么呢。 [05:43.350]何かを求めていくのか
应是“万物的”外侧么…? [05:48.520]“その”外侧へ
月明之夜。 [00:31.390]静けさと
与静谧同行。 [00:34.170]その暗さに
任由自己, [00:37.780]身を任せ
被黑暗吞噬。 [00:40.410]一人きり膝を抱え
独自一人抱紧双膝, [00:45.220]そっと问いかける
静静地,开始了追问。 [01:01.820]自分という命のこと
谓之以我的这个生命, [01:07.510]自分という存在のこと
谓之以我的这份存在, [01:13.040]生まれて死んだならば
生来而后死去的话, [01:18.430]どこに行くのだろう
又将去往何处呢? [01:24.060]人のように
是如人一般…? [01:29.510]或いは别の
亦或是其他什么…? [01:34.850]ただ独りで考えていたい答えが出なくても
但凭自己思索,即便得不出答案, [01:40.450]それは何の萌芽か
也会成为何种之萌芽么。 [01:45.980]いつしかここに生まれていた
不知何时在此诞生, [01:51.590]己というものを振り返るのなら
若去回首这所谓的自己, [01:56.800]いつしかここに疑问を持ち
不知何时在此开始怀疑, [02:01.930]思索に沈み往くその深さだけ
但若于思索之浸淫,已是那般之深, [02:06.210]何かを踏み外すのか
又是哪里弄错了呢, [02:08.730]“この”外侧へ
应是“自我的”外侧么…? [02:36.340]自分と
自己。 [02:38.130]自分以外。
与非己。 [02:41.040]自分は
自己。 [02:42.980]何者か
究竟是谁。 [02:45.730]何が一绪で。何が违うか
何为同。何为异。 [02:51.250]それが大切か
那是否重要呢。 [03:08.700]自分という存在が
若所谓的自己, [03:13.500]他者と违うのなら
异于他人的话, [03:19.010]そうあるべく生きるとして
以那种形式活着, [03:24.730]何をするべきだろう
又应该做些什么呢? [03:30.050]人のように
是如人一般…? [03:35.510]或いは别の
亦或是其他什么…? [03:40.750]薄氷の上を渡るような 不安定な自问自答
如履薄冰般,不安定的自问自答, [03:46.210]その危うさに両足を踏んで“哲学”(冒険)を进めるなら
迈出双脚踏过危难,将“哲学”(冒险)践行, [03:52.880]拙いその足取りでも
哪怕那步子如此笨拙。 [03:59.370]いつしかここで思考を得た
不知何时在此启智, [04:05.370]己というものに思い驰せるなら
若去深思这所谓的自己, [04:10.290]いつしかそれに疑问を持ち
不知何时对其抱有怀疑, [04:15.380]新たに问い直するの多さだけ
但若重新审视的次数,已是那般之多, [04:18.220]何かが変わっていくのか
——绝对不能再往前走了。 [04:23.560]――これ以上先に踏み入ってはいけない
无法言明的预感,为接收到与其相似的预兆而战栗, [04:32.530]言い知れぬ予感にも似た予兆を感じては栗く
那是在自己体内所发现的崭新的可能性吗? [04:40.500]それは己の内に见出した新たなる可能性か
循环之, [05:03.460]保つ同一性
保有同一性, [05:04.180]循环し
投影出的, [05:07.270]投影された
自然的外形, [05:10.200]自然のその姿
去往那一切的外侧——之外的领域。 [05:12.930]それらの外へ――外侧へと
谓之以我的客体所存在的意义, [05:17.010]自分というものの存在意义を
对此追问不止。 [05:20.230]问いかけ続けることで
不知何时在此显现, [05:22.400]いつしかここに现象した
若去定义这所谓的自己, [05:28.380]己というものを定义するのなら
不知何时对一切抱有怀疑, [05:35.040]いつしか全てに疑问を持ち
但若所找出之意义,已是那般之重, [05:38.420]その意味を见出すその重さだけ
之后又将探求些什么呢。 [05:43.350]何かを求めていくのか
应是“万物的”外侧么…? [05:48.520]“その”外侧へ
Cirno,Q?-めらみぽっぷ热门评论
难得思考的小⑨,然而还是什么都没想通[大哭]
简单来说…这首就是琪露诺在寻找自己活着的意义,自己是什么,自己是作为人类一样的活着亦或者是作为妖怪而活,越发掘深入的研究“自己”就越觉得害怕,不敢再去深入去探究。深入思考的话…自己活着的意义是什么呢?自己应该如何而活呢?不知不觉想了很多…不过题目倒是很有趣啊“琪露诺,九?”
那里是⑨在思考人生,明明是⑨的激唱![怒]
那个Q啊,和日语里的⑨一个读音
是不是对《求闻史记》“妖精个体的生命是很短的,很快就转生出一样外表的生命。”中这段话的思考?